2008年10月7日火曜日

ナポリの劇場

ナポリ版「秘密の結婚」の楽譜や上演状況、
そして銀行に保管された当時の帳簿を
仔細に検討して研究したのが、
ナポリでお世話になった気鋭の若手音楽学者、山田高誌さん。
夜のオペラ復活初演の監修もなさってました

その山田さんが、
ナポリでの最後の夜に連れていってくださったのが、
地元の人しか行かないレストラン。

しかも藤壺のホテルからすぐそば。
レストランは外の路地まで人がいっぱいで、にぎやか。
外国人はひとりもいません。

それなのに、席もなくて、
近くの酒屋(?)でワインをの見ながら、
30分ほど外で待ちました

さすがイタリア!
酒屋の外に3つだけあったイスに
腰掛けていたナポリ人たちが、 どうぞと言って
女性2人にゆずってくれました(^.^)

お料理も地元ならではのものばかり。
ナポリは海鮮料理がやはり一番ですが、
特別なソーセージもあって 抜群の味でした。
もちろん、ワインを飲みながら。。。

そのそばには、後からわかったのですが、
「秘密の結婚」上演と関係のあった劇場テアトロ・ヌオーヴォが!

写真はこちら http://picasaweb.google.co.jp/fujituboneko/YZuFHL#

2008年10月5日日曜日

秘密の結婚 ナポリ版

チマローザのオペラ「秘密の結婚」ナポリ版が
復活初演されました
(10月4日と5日、東京芸術劇場中ホール)。
同じ日にシンポジウム(日本音楽学会特別例会)が
立教大学であったので、
ついでにそれも。。。

知らないことがいっぱいあって面白かったです

驚いたのは、オペラに原作があったことや
同じ物語がすでに上演されていたこと。

最初はイギリスで、ギャリックとコールマンの共作。
またホガースの風俗画「当世風の結婚」と
関係があるということにもビックリ(*.*)

次はフランス。
ここでもコーKohautという作曲家が
「ソフィーまたは秘密の結婚」を書いていました(1768)

そしてウィーン。
チマローザ以前にもイギリスの作品が
ドイツ語に訳されて上演されていたとか。
その後で、いよいよチマローザのオペラ初演(1792)。

ナポリ版はその翌年の1793年、
作曲家自身による変更が加えられていました。

 エリゼッタの歌が超絶技巧になっているのは、
その時のソプラノが16歳の天才歌手だったから。
銀行の帳簿によれば、作曲者のチマローザよりも歌手への支払いが高額。
このソプラノ歌手は、後に12歳のパガニーニと
演奏会に出演してあげています。

もうひとつ驚いたのは、
このナポリ版の楽譜(もちろん当時の手稿譜)が、
日本の国立音楽大学に所蔵されていたこと! 
この発見によって今回の上演が可能になったそうです

日本での復活初演は、
東京室内歌劇場の主催。
40周年記念公演でもあるとか。
ダブルキャストで、藤壺が見たのは初日。
歌手、オケ、衣装、照明、舞台装置、
どれもがんばっていて、楽しめました(^.^)

*****

オペラの後は、
池袋の芸術劇場の近くにあるレストラン「ナポリの食堂」へ (^.^)


2008年9月8日月曜日

サンタルチア

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪-------

やっぱり歌いたくなってしまいますね。

*サンタルチア*

本来はナポリの船乗りたちの守護聖女の名前

今は港や地区の名称
 海岸沿いに高級ホテルが並んでいます。

有名な歌は、民謡ではなく、
ナポリのピエディングロッタ教会で開催される伝統的な歌祭りで
1856年に発表された歌です

***********

ナポリでの国際会議初日の夜、
サンタルチア地区にある高級レストランへ

まだ時間が早かったので、カフェでひと休み
案内役のYさんのおすすめで、赤いジュースを飲みました
(名前を忘れました)
もちろん(?)ノン・アルコールです

そこから、卵城を遠目に見ながら、
海岸通りを散策して。。。(^.^;

レストランでは総勢10人くらいでテーブルを囲み、
  (現地在住のカプリ島研究者も)

海を見ながら
ナポリならではのお料理を満喫
 (残念ながら、ひとつずつの名前は覚えておりませんが、写真だけは!)

もちろん海の幸は最高!
でも、どれも美味でした(^.^)
藤壺にとっては、滞在中の最高級料理でした

帰りは、
夕暮れが美しい海岸通りを
歩いて帰ってきました

まさに、「ナポリを見ないで死ぬな」、「ナポリを見てから死ね」

となると、もう心残りはないはずですが。。。


写真アルバムはこちら

http://picasaweb.google.com/fujituboneko/VnisKI#

*****   『ニューグローヴ音楽事典』  より

テオドーロ・コットラウ Teodoro Cottrau (1827年12月7日ナポリ生,1879年3月30日ナポリ没) イタリアの楽譜出版家,法律家,詩人,文筆家,政治家。ナポリの歌を集め て父が出版した〈音楽の楽しみ Passatempi musicali〉を再版して大成功を収めた。作品には,たくさんの歌曲と,6つのピアノ曲がある。「サンタルチア」はもっとも有名な歌曲のひとつ
(日本語訳と最新ネット版での記述はほぼ同じでしたが、「ピエディグロッタ祭のためにテーマ・ソングを書き,編曲や出版をしている」という文章が削除されていました)
他にネットでは、 コットラウは歌詞だけで、作曲はLuigi Gordigiani(1806-1860)、1855年作あるいはA.Longo1848年作という説も紹介されていました。 「帰れソレントへ」「オー ソレ ミーオ」「フニクリ フニクラ」なども、  この歌祭りで発表されたものとか。

******

卵城 (Castel dell'Ovo)
サンタルチア港に突き出している小島にある要塞。本来はローマ時代の豪華な別荘であった。11世紀ノルマン人が要塞とし、城の土台に卵を埋め込み、「卵が割れるとき、城はおろか、ナポリにまで危機が迫るだろう」と呪文をかけたことが名前の由来という。アンジュ家統治時代には税やを納めるための倉庫として使用された

2008年8月31日日曜日

ナポリの日曜日

ナポリに到着したのは日曜

お天気もよく、美味しい昼食の後は
もちろん午後のシエスタ。

ホテルでひといきついていると、
どこからか賑やかな音楽が聞こえてきました
路地を楽隊付きの行列が通っていきます




どうやらマリア像のお神輿(?)

スペインで復活節におこなわれるのは
知っていましたが、
真夏のナポリで???

後で聞いた話によると、
信心深い地域では、
このような 行列が今もおこなわれているとか。
これにはマフィアが関与しているとも。
(日本の***と同じ?)

ホテルのななめ前には礼拝堂がありましたから、
その関係のようです
行列は日曜の午後だけでした

滞在中、礼拝堂の鐘が
必ず毎朝7時3回鳴りました
そして礼拝の終わる15分後には、2回
(日曜は30分後だったような。。。)
さらに午前9時にも鐘が2回、15分後に2回!

藤壺にとっては、恰好の目覚ましの鐘。
ホテルにモーニングコールを頼む必要はありませんでした!

*もっと写真を入れたいのですが、
まだ慣れないブログのせいか、
どうしてもレイアウトが乱れてしまいます

写真は下記のアルバムに少しずつ追加していきますので、
お手数ですが、そちらをご覧ください

http://picasaweb.google.com/fujituboneko/cbLJRH

→スライドショーにして、間隔を1秒にすることができます(^.^)

2008年8月14日木曜日

スパッカナポリ










ナポリの町をスッパリと(?)横断する細長い通りだから、
そのあたりをスパッカナポリ?を呼ぶ、というのは嘘(^.^;

内容は間違っていないのですが。。。
細い道の両側には小さなレストランが並び、
夜遅くまで活気にあふれています。

ある夜、この一角のレストランで親睦会が催されました
開始時刻は夜の9時! 


ホテルから歩いて20分以上かかるのですが、
フロントの人から、用心して歩けば大丈夫と言われたので、
おそるおそる歩きました

途中、確認のため、別のレストランのボーイさん(おじさんでしたが)に
道をたずねたら、ここをまっすぐに行けばよいけれど、
バッグに気をつけてと言われました。
ナポリの人は、とっても親切。こわいことはありませんでした。

お目当てのレストランへ着いたころには、
ニュージーランド、チェコ、ポーランド、フランス、イギリス、ドイツ。。
世界各国の人が集まり、十分に盛り上がってました。
お料理も美味しくて、時間を忘れておしゃべりしたり、食べたり。。。
まだまだ盛り上がっていましたが、そろそろ夜も更けたので、
タクシーを呼んでもらって、帰りました。
その後、日本に帰国してからまもなくのこと、
ふとエレベータの中で「スパッカナポリ」という名前をみつけました。

場所は新宿の住友三角ビル。
52階でエレベータを降りたところ、目の前がレストランの入口。
   
   新宿天空のピッツァ窯 ピッツォランテ「スパッカ ナポリ

ランチタイムだったので、ついふらふらと入ってしまいました
ウェイターはヴェネツィアの人。
前菜やデザートも悪くありませんが、
何と言ってもピザが絶品!
ナポリで食べてきたばかりなのに、懐かしい味(^.^)
それもそのはず、
あとでわかったのですが、
ピザを焼いている人がナポリ人!
焼いている窯もタイル貼りですてきでした。
生地を作る時に、パンパンと凄い音をたててのばします
これが美味しくなるコツ?
写真左:ナポリの有名なお店"Pizzeria dal 1923"のピザ
写真下:日本の「スパッカナポリ」で食べたピザ!
写真右:ピザを焼く窯とナポリの料理人
その他の写真はフォトアルバムをご覧ください

2008年8月11日月曜日

ナポリ第1日(ホテル)

昼食の後は、ホテルへ戻って、軽くシエスタ(昼寝)

Il conventoという名前の通り、もとは修道院だったのを改装したところ。
なかも落ち着いた雰囲気で、素敵です
☆3つ、エレヴェーター、シャワー、エアコン、ミニバー、朝食付
有名なトレド通りから2つ路地を入ったところ。
某案内書には危険と書かれていたスペイン地区ですが、
そんなことはありませんでした。
気をつけていれば、まったく大丈夫です
むしろ観光客がいないので、
ナポリらしい雰囲気を満喫できました。
別の日ですが、ある晩、ホテルの部屋で食べようと、
フロントで、近くにテイクアウトできる店はないかとたずねました。
そうしたら1分ほどのところにあるピッツェリアなら大丈夫と。
店に入ってテイクアウトしたいと言うと、オーケー!
でもピッツァは大きすぎるので、
結局、前菜にあたる野菜や魚のフライなどを指さしながら、
少しずつアルミボックスに詰めてもらいました(^.^)
パンも1つ添えて4ユーロ! 
ついでに近所の八百屋さんで、桃をひとつ買いました。
若い売り子さん(男性)は、英語が話せる?と聞いてくれて、
大きいのか小さいのか、固いのか、柔らかいのか、と質問
今、食べたいのと言ったら、すぐにぴったりのを選んでくれたのです(^.^)
これが20セント(1ユーロ=100セント)
疲れていたし、お昼をしっかり食べていたので、十分に満足
(ちなみに山の上のホテルで食事をした人たちは50ユーロの豪華な夕食だったとかで、その10分の1でした!)

2008年8月6日水曜日

ナポリ第1日(昼食)

空港からタクシーでホテルへ。
荷物を預けてから 皆で昼食

太陽光線がまぶしい、暑い。。。
それなのに、誰も帽子をかぶっていないし、
傘もさしていません

でも、藤壺は日本からの晴雨兼用の傘をさして歩きました
 もってきて良かった!

Yさんの案内で、近くのレストランへ
 
小さなところですが、すてきな室内装飾
せっかくだからと、ナポリならではの前菜を注文していただきました








モッツァレッラがこんなに美味だなんて。。。
蛸のマリネも最高!
次はパスタ








この幅広いパスタが、とっても美味しいのです
ゆでる水からして違うとか
他にペンネも。

本当なら、このあとにメインがくるのですが、
さすがの藤壺もおなかいっぱい!

最後の締めは、ナポリ特産のリキュール、レモンチェッロ!
 美味しーーーーーい! 冷凍して飲むとよいとか

次は場所を移して、デザートを
 もちろんジェラートです
 藤壺はレモンとピスタチオを注文。

レモンはさっぱりとして、さすがに美味
ピスタチオは、予想以上にこってりとして、ナッツという感じ!
他に、メロン、オレンジ味チョコレートもすてきな味でした

2008年8月3日日曜日

夜明け(ナポリへの旅)

今年のIAML(国際音楽資料情報協会)/RILM(国際音楽文献目録委員会)の
国際大会の舞台はナポリ。

参加は久し振りです。
委員会の財政難のため2年ほど欠席していました。

7月19日にエールフランスの夜便で出発

直接にネットで予約、
 チェックインも出発30時間前にネットから。 
 成田空港で郵便を出していたので、
 ギリギリにカウンターへ行ったら、長蛇の列。

 えーーー! 

ところが、チェックイン済の紙を見せたら、
誰もいないカウンターに案内され、すぐ荷物を預けることができました。
後で聞いたら、ダブルブッキングがあり混乱していたとか。

今回は、エールフランスの夜便だったので、
パリ到着は朝の4時。

ここで乗り換えのため、5時間も待っている間に、
次第に夜が明けてきました。








空港の待合室では、同じ飛行機に乗っていた仲間を発見!
 ターミナル2Eだったのですが、
 Barの他にPAULのパン売り場もありました。

お昼頃にナポリ到着。
空港には
 現地に住む新進気鋭の音楽学者Yさんが迎えに来てくれました(感謝!) 
 

2008年6月8日日曜日

アニェス・メロン

第22回古楽コンクール<山梨>(2008年4月26-27日)の審査員として来日した フランスのソプラノ歌手、 アニェス・メロンのマスターコースが催されました。

 レッスンは、昼食と短い休憩をのぞいて、ひとり1時間でとっても充実した内容 。昨日も含めて14人中13人がフランスバロックの声楽曲を歌ったのです。それにしてもフランス語で歌える人が こんなにいたなんて! レベルも高くてビックリ(*.*)

第1日(4月28日、13;00-19:00)
第2日(4月29日、9:00-19:00)

 最初の受講生はリュートの弾き語り。まだ歌は始めたばかりということで、 声のコントロールがまず必要という話に その後、 ランベールのエール・ド・クールと ラモーのオペラのアリアが続きました。 同じアリアを2人が歌ったのですが、 同じ曲でも個性が違うところは、まさにバロック! でも、順序が逆だったら良かったのに 最後に、モンテクレールのカンタータ ディドンの死 ドラマティックで大好きな作品。 ヴァイオリンのオブリガート演奏までついて贅沢!

最後の人はリュリのオペラ「アルミード」の有名なモノローグ。 先生も絶賛!  まるで舞台俳優みたいな表現力に加えて 声量があり、愛と義務の板ばさみになって苦しむ魔女の心の揺れ動きをみごとに表現していました。

☆発声法
 メロンさんは、ベルカントではないバロック独特の発声法を指導。とくに装飾音をつける場所を詳細に教えていました。 ともかく先生が歌うと、「フランス・バロック!!」という香りが漂います。とくに装飾法や声楽での発声法など、とても勉強になりました。 表情も豊かで、話声や見本の歌を聴くだけでも、うっとり。

のどや唇のまわりを固くしないでリラックスさせ、 頭の上方、とくに鼻に息をぶつけるようにするとか、ハミングして鼻から息を出す練習など 。のどの奥を開けるが、口を大きく動かす必要はないそうです。

 基本テクニックを扱わないで教えるのは難しいと言いながら、それでも発声や発音を少しずつ指導していました   外で聞いていた受付の人によれば、最初は静かだが、 どんどん声が聞こえてくるとか。

  私は9時半頃に着いたのですが、とても綺麗な声が外にいても響いていました。中に入ると、歌の人が棒をもっています。どうやらヴィブラートがかかりすぎるので、それをつかないようにする練習をしていたようです。

 驚いたのは、声が細くてきれいだけれど、声量のない人が、先生の指導でどんどん響きのある声に変ったこと。 本人によれば、大きな声を出しているかどうかはわからないけれど、自分がスピーカーになったみたいだと。でも客席で聞いていると、素晴らしい響きが出ていて、バロック音楽に必要な表現力が大幅アップしてました。

メロンさんがお話なさった、実際に歌の練習に入る前にすべきことをまとめると
(1)歌詞を何度も読み上げ、言葉のリズムを体得する リュリもラモーも作曲する前に何度もテキストを読み、気に入らない時は書き直させることもあったとか。 先生は、電車や飛行機の待ち時間も利用するそうです

(2)強い音節と大切な言葉を探す ロマン派の歌では旋律の流れを大切にするが、 バロックでは言葉を何よりも優先する 個々の言葉(偽善者、怒り、愛、魅力)によって、  子音の発音法、声の色彩なども違ってくる

(3)旋律をゆっくりと丁寧に練習する 装飾のない旋律はありえない。フランス独自の装飾法をマスターするには3年くらいかかる。

ここに書いたのは、レッスンのごく一部。 
ところが藤壺は、レッスン通訳をしていたので詳細なメモがとれませんでした(泣)

☆アニェス・メロン
 1981年に声楽アンサンブル(P.ヘレヴェッヘのシャペル・ロワイヤル、 W.クリスティのレザール・フロリサン)で活動を開始、その後ソロ歌手として活躍中。レパートリーの中心はフランス・バロック音楽で、現在まで60枚以上のCDが発売されています。1997年にアンサンブル「バルカロール Barcarole」、2005年には自身の演奏と教育経験を集大成するプロジェクトとして「アッカントAccanto(歌うことの傍らで)」という協会を設立。また、京都フランス音楽アカデミー、パリ高等音楽院、多数のマスターコースで教授をつとめています。

☆第22回古楽コンクール<山梨>
 詳細レポートが古楽情報誌「アントレ」6月号に掲載されています